アンデスの山々、フォルクロ−レの音楽、
鮮やかな民族衣装をまとった先住民の人々、
神秘的な古代遺跡、アマゾンの秘境...
ペルーとは、先住民族のケチュア族の言葉で「豊かな土地」を意味します。
コロンビア、エクアドル、ブラジル、ボリビア、
チリと国境を接し、太平洋に面しています。
雨のほとんど降らない沿岸部の乾燥した砂漠や、
6,000m級の山が連なるアンデス高地
(南アメリカ大陸の西岸から北岸に連なる大山脈)、
アマゾンの密林地帯など、多彩な自然に恵まれています。
アマゾンといえばブラジルを思い浮かべるひとも多いですが、
ペルーの国土の約60%がアマゾンの熱帯雨林地域なのです。
あの流域面積世界一を誇るアマゾン河は、
ペルーのアンデスを源流としてブラジルへと注いでいるのです。
かつて南米最大の帝国を築いたインカ帝国をはじめ、
紀元前から栄えてきた数々の古代文明、
謎の空中都市と言われるマチュピチュ、
大地に刻まれたナスカの地上絵など
多くの謎に包まれた遺跡がいくつも残されています。
国土は日本の約3.4倍で、2980万人が住んでいます。首都はリマ。
公用語は主にスペイン語で、他にケチュア語やアイマラ語があります。
国民の95%以上はカトリック教徒です。
ペルー人は、大きく分けて、
先住民(47%)、先住民と移民の混血(40%)、
欧州系移民(12%)、東洋系移民(1%)、
といわれています。
先住民は、
シベリアを経由して渡ってきたと言われる
褐色の肌と蒙古斑を持つ人々です。
今でも先住民の多くは、
アンデスの高地の山間の村々で伝統的で穏やかな暮らしをしています。
この先住民が栽培し、今では世界中に広まったのが、『ジャガイモ』です。
3,000種くらいあり、料理によってジャガイモを使い分けています。
また、ペルーは日本が中南米で最初に国交を結んだ国であり、
南米で最初の日本人移民先でもあります。
現在、ペルーに暮らす日系人はおよそ9万人。
世界でもブラジル、
米国に次ぐ第3位の規模の日系人社会が形成されています。
2009年は日本人がペルーに移住してから110年に当たる記念の年でした。
・・・
・・・
あなたの大切なものは何ですか。
「平和です。」
(pazとは、スペイン語で『平和』のことです。)
今から3000年前、北部アンデスの山岳地域で文明が発生し、
その後ナスカなどの各地にそれぞれの文化が栄えました。
11世紀末、中部アンデス地域にインカ族が現れ新たな文化を作り出します。
当初は1部族に過ぎなかったのですが、
15世紀末頃には、南北に4000kmにわたる大帝国を作り、
首都クスコを中心に栄華を極めます。
その帝国の範囲は現在の
コロンビア、エクアドル、アルゼンチン、ボリビア、チリに至ります。
インカ帝国はいくつかの点で古代エジプトの王国に似ており、
クスコを中心にして1200万人を越える人間が
自活できるシステムが整えられていました。
・・・
・・・
インカ帝国の発見
15世紀の中頃,インカ帝国から遠く離れたヨーロッパでは、
まだ見ぬ国を探す大航海時代が始まっていました。
1521年にアステカ帝国(メキシコ中央部)を
征服したスペイン人がさらなる楽園を探す中、
フランシスコ・ピサロはアンデスの彼方に、
『黄金の都』があるという噂を聞きつけます。
1526年、ピサロは探検に挑戦し、
インカ帝国の北部の町に辿り着きます。
そしてこの町の繁栄ぶりを見て、
アステカ王国にも劣らない巨大な文明が
アンデスの地に存在することを確信するのです。
・・・
・・・
征服の世紀
この頃、インカ帝国では
2人の兄弟が皇帝の座をめぐって争っていました。
1532年、200人足らずの部下を率いて
再度アンデスを訪れたピサロは、
そんな隙を狙ってインカ帝国を一気に攻めます。
大砲や銃で攻撃するスペイン人に対し、
4000もの兵で固めた先住民の武器は石槍やこん棒。
武器で勝るスペイン人は、
人口20万人の大都市クスコを落城させてしまいました。
ピサロは海岸部に新たな首都リマを建設し、
スペイン人による植民地時代が始まります。
・・・
・・・
銀ブームの到来
ペルーのポトシという山で、1545年に銀が発見されます。
先住民は出稼ぎ労働を強いられ、
アフリカから黒人奴隷も送り込まれました。
17世紀初め、ポトシの人口は16万人にも膨れ上がり、
新大陸で最も大きい都市に成長します。
ここで産出された銀は、
世界全体の産出量の半分に達するほどといわれています。
しかしこうした銀のほとんどはスペイン本国に送られ、
新大陸に残るのはごく一部でした。
・・・
・・・
人種差別社会の発達
様々な人種が暮らし、混血の進んだアンデスでは、
やがて人種差別が生まれます。
最も高い身分は、
スペイン本国で生まれたスペイン人(ペニンスラール)、
二番目が新大陸で生まれたスペイン人(クリオーリョ)、
次が白人とインディオの混血児(メスティソ)、
さらに黒人、先住民(インディオ)と続きました。
リマなどの都市部はヨーロッパのような町並みとなり、
位の高い役人や聖職者はペニンスラールが占めました。